こんなんでいいのか子育て日記

自分自身がまともに育ったとは思えない私。何が正しいのか何を教えればいいのか?常識って?マナーって?正しいことって?いまいちわかってない私が子育てをします。

親の死によってもたらされるもの。

 

30代に突入してすぐ、母親が他界した。

 

親の死後、多くの子どもはかつての親との思い出、

支えになっている教えや、優しく包んでくれた親の愛を

感じては悲しみに暮れるのではないだろうか。

 

私の場合は少し違った。

 

私はどちらかというとネガティブな性格だ。

親が死ぬまで、ただ漠然と生きづらさを感じていた。

でも母親と行動するのは大好き。母親のことが大好きだった。

 

親の死後、何となく目にした記事であることに気づいた。

 

思えば親の野望のために人生を生きていた。

夢を語れば鼻で笑われ、進学先は親に決められ、

彼氏が気に入らなければ全力で反対された。

 

自分の意思、というものがまるで尊重されなかった。

 

「この学校へ行かなきゃ愛してあげない」

「こういう人生が幸せ、と信じないなら愛してあげない」

「こういう人と結婚しなきゃ愛してあげない」

 

まさに条件付き愛情だ。

 

今まで私の中身だった母がいなくなり、私は無意識に

「自分の」人生を考えるようになり、母親が生きていたら

良い顔はされないだろう仕事をするようになった。

自分がやってみたかったからだ。

 

思い返せば、私には反抗期すらなかった。私が自分の意見を言ったり

したら、母が可哀想でならなかった。母は反抗期が無かったことを

単に私がいい子だから、と誇らしげにしていたが、自立の過程では

あまり健全ではないらしい。

 

これまで母の言う通りの人生を歩んできたが、母は私を「甘ったれ」

だと言い続けてきた。看病の際は、夫をほっぽりだして実家に

泊まり込みで、感謝こそされていたが、それでもどこか物足り

なさそうだった。母もまた、どこかで満たされない思いを

抱えていたのかもしれない。

 

母の死から数年たった今でも、素直な悲しみ方ができていない。

産んでくれたこと、育ててくれたこと、たくさん与えてくれた

愛情、そのことを思い出していっぱい悲しみたい。

 

でも、私自身を一度でも認めてほしかった。

 

そんな思いばっかりにとらわれて、素直に泣けないことが

母親に対して申し訳なくて辛いのだ。