メアをやめて少し経った頃の話。
みいのメアに対する基本スタンス
「自分がいなくなると困るからやめさせてくれない」
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やめさせてくれた。
↓
本人曰く「傷が癒えていない」
メアをやめたことが「傷」らしい。
傷ってなに?
彼はメアを見ないようにしている。
私も彼の答えがでるまでそれに付き合い早1年。
時間の無駄!3日に凝縮してくれ。
肝心なことは触れられない夫婦生活。
虚しくなってくる。いくら一緒にいても
人間らしさがみえない。
話もしないで何かを受け身に待っている彼。
話もしないで相手が変わるのを待っているよう。
本当は必要とされたいんだろう。
「来てくれ」と言われるの待ち?みっともない。
「自分はイヤだけど来いっていうから来てやった」って
図式にしたいんだろう。
来いっていわれないから、それが傷なのだろう。
だって「やめさせてくれない」んでしょ。
みんな辞めたい人を無理やりひっぱりません。
みんな大人なんだから。
それでも「必要とされたい」って待ってるのが
なんかみてて悲しい。いい大人なら自分で向かっていけ。
私は彼がメアを辞めてもらっても構わないが
メアと絶縁みたいな辞め方が嫌。
客として聴きに行って、コソコソ会わないように帰るとか
私もそれに付き合うのは嫌。
共通の友人に復帰のことをきかれれば
「とねさんもどう?」と聞かれるので、
それをそのまま聞くと「めんどくさい」と
言われる。
「来たくないってー」って言ってやろか?って思う。
断り方悩む。誘われるって幸せなことなのに。
今思うと、彼は私にも「俺に復帰してほしいんだろ?」って
雰囲気がとれる。どおでもいい。
彼は常に常に、賞賛や尊敬、自分が必要とされること
を渇望していて、そのためなら何年でも待てるようだ。
「自分は変わらない。お前が変われ。」という理念。
私からすれば人生もったいないな・・と思う。
成長を実感できることが人生の醍醐味なのに。
これを書いていたころはまだそんなことに気づいてなかった。
ただただプライドの高い男くらいにしか。
いやいや、とんでもない、2歳から成長していないのだ。
運をひきよせたい。
ここ3年ほど、大殺界とはこのことか?
といわんばかりの、人生の試練が続いた。
29歳の時、人生ニコイチのように歩んできた母親の突然の末期がん宣言を
きっかけに、父はうつ病になり、親戚内の揉め事・絶縁、不妊治療、妊娠、流産。
母の死をきっかけに「アダルトチルドレン」であることについて頭を抱えたりもした。
しかし私は思う。
思えばすべての事象で、自分の意思で引き起こしている事は何一つ無かった。
命が淘汰されていくことは自分にはどうにもできない。
周りで起こるトラブルの仲裁に入り板挟みで心は何度も折れたが、
私は皆が穏やかに居られる事だけを願い行動してきたと思える。
自分に起こる辛い出来事をすべて「自分が悪い」と思いすぎていたように
思う。無駄に自信を無くしていたような気がしてきた。
家族の病気や、妊娠・流産については、努力が必ず実るものではない。
私は「運」が気になるようになってこんな本を読み始めた。
今日から少しずつ実践し、体質改善を試みる。
乞うご期待!
家庭料理人としての成長を見届けてほしい、涙。
したがって、夫には北海道物産展で買ってきた海鮮丼。
自分にはロイズ生チョコ(2回目)。
お風呂嫌いが語る、お風呂のいいとこ。
お風呂嫌いといっても、
準備されていて、衛生的で、
あとは入るだけ、ならばそれは最高である。
主婦にとってのお風呂というのはワケがちがう。
某生活用品のCMで、「嫌いな家事は?」に対し、
「お風呂掃除。」
「黒カビ掃除。」
といわれているのは、まんざら誇大表現では無いと感じる。
ちなみに私は台所周りの掃除が一番嫌いだが。
お風呂掃除は本当に面倒で、気合いがいる。
体をキレイにする場所であるからには、
カビやぬめりは最高に気になる。
しかし、そのカビやぬめりに手を伸ばすのは、
潔癖性の私にとってはたいへん勇気がいることだ。
カビや湯垢を洗い流した水が服や髪にかかったままでは
いてもたっても居られないので、お風呂を洗ったら速攻で洗髪、
そして体を洗う。ちょうどその頃にお湯が溜まる。
15分程お湯につかりながら雑誌を読み、
最後にまたシャワーを浴びて終了、がいつものパターン。
お風呂に入った後は何と爽快なんだろう。
さわやかな気分になり、体はぽかぽかしていて、
スマホやパソコンなんか見たくなくなる。
夜風なんかにあたりたくなる。
自然の摂理だろうか、人工的なものから遠ざかりたくなる。
けれど掃除は必ずついてくる。
私はこの先ずっと、誰かがお風呂を炊いてくれることも
無いだろう。
自分が入りたい時に自分で炊くのだ。
本当の意味で自由人である。
自由がゆえの時間管理ストレス、プロローグ。
今日はなんと13時半頃まで寝てしまった。
何年ぶりかにみられる大失態だ。
夜は0時台に寝ている。
朝は6時半に起きた。
ご飯をしっかり食べて、2度寝してしまったのだ。
まるで牛だ。
こんな話をすると、「主婦はお気楽でいいねぇ〜」
なんて聞こえてきそうだ。
しかし時間管理について、主婦は働く人々以上に
ストイックな心がけが必要であると思う。
「現状で満足派」と「なにか野望を抱いている派」で、そういう思いを
抱くかどうかは二分されると思うが、私の場合、野望とまでは言わなくとも、
とりあえず現状に満足はしていない。したことが無い。
”バブル崩壊後の大人たちを見てきた世代”(”プレッシャー世代”と呼ばれて
いるようだ)に起因しているのではないか、と密かに思っているが。
社会は信用ならない、と大人たちが言っていた。それを聞いて多感な時期を
過ごしてきた私は、いつかなにかしたい、何かの先生になりたい、何か店を
オープンしたい、とにかく手に職をつけなきゃ、、というように、ある意味
常に自分に可能性を感じて生きている。
遠回りしたがつまり、寝坊は時間の無駄なのだ。
今日みたいな日は、本当に落ち込む。
はっきり言って、仕事をしていた時の方が「仕事の時間までに」
「電車の中で」等いわゆるスキマ時間を使いこなし、充実していた
ような気もしなくもない。
生活の時間を自由に使えるがゆえに、相当の強い気持ちで
自分を戒めないとこんな結果になってしまうのだ。
これからは「主婦の時間管理術」について考えていこうと思う。